「飽食の罪」

 



 ブラッド・ピットが主演した映画『セブン』でも出てきたように、俗説キリスト神学では、「7つの大罪」その一つに悪魔ベルゼブルが操る罪として「暴

食・飽食(glutton)」がある。宗教的理由は別にしても、「飽食は良くない」といえる理由は大別して2つある。当人についてと社会に対してのマイナスだ。食料の独占や奢侈におごる生活がもたらす富の偏りあるいは無駄使いだ。
 前者については、食費面と内臓疾患や肥満などの健康面のマイナスがある。「脳の働きにも良くない」らしく、「記憶力や思考能力が低下し、注意力が散漫になり、大脳の早期老衰と知力減退を招く。中には脳卒中を起こす場合もある。」(「人民網日本語版」2001年10月15日)との研究もある。


 後者については、飽食の結果の「食べ残し」が問題だ。農水省が調べたところでは、平成9年度で「供給食料の24%が廃棄されている」という。米国農務省による食品ロス統計調査(平成9年7月)でも、可食食料の年間ロス総量は約4,360万トンで、供給総量の27%とされている。一方で、世界全体では何と「1分間に28人」が餓死しているというのだから、アンバランスを生んでいることは明らかだ。
 と、ここまではわかる。それに「飽食」気味なのは食料だけではなく、衣類、家電、情報身の回り中が常にオーバーフローであることもわかる。でも、これってどうすりゃいいんだろう? 神様も「罪だ! イカンイカン!」と叱るばかりじゃなくて、アンバランスをただす流通の知恵を授けて欲しいものだ。
 写真は、吉祥寺駅南口の向かいにある蕎麦屋「ほずみ」の「五色そば」を4人で食べた時の、盛りざるだ。「食べ残し」はしなかったものの、「飽食」気味になった。反省!。